空腹がうまくいくのだ

空腹がうまくいくのだ

今日覚えたこと

習い事を「選択と集中」してみませんか?

小学校低学年ママが集まると、必ずでる話題が「習い事」です。

で、「習い事が増えてきちゃって大変!」という会話よくありませんか?

「英語、ピアノ、バレエ、くもん、スイミングを習ってて。宿題をやる暇がぜんぜんなくって、そのあとに、学校の宿題を終えて寝るのが毎日10時過ぎなんだよねーー。本人はどれも、好きだっていうし。好きなものをやめさせるのも、気がひけるし。。」

そんな親の気持ち、とてもわかります。そしてどの習い事も、

  • 自分の子にどんな可能性が眠っているか分からないから、どれもやらせたい
  • どれも将来、必要で大事な能力だし

と思ってしまいます。でも、ほんとうにそうでしょうか?

これは子どもの貴重な時間とお金をムダにしていてもったいないなぁと思います。

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習い事を増やし過ぎると何が悪いか?

投資する時間とお金が、分散されてしまいます。

お稽古を続けるうちに、電子ピアノより叩きごごちがある本物ピアノ、もっといい教室、遠くのいい先生、。。どんどんエスカレートしていきます。
それも、1つの習い事だけじゃなく、ピアノもバレエもほぼすべて。習っているかぎり、少しでもいい環境を整えて、早く上手くなりたいって思いますもんね。

じゃあ、どうすればよいか?

経営の有名な法則に、
選択と集中
というのがありますよね。企業が得意な分野を洗い出し、経営資源(人やお金)を集中して投下する戦略です。習い事の時間も、たとえば、

「3つの習いごとを週1回ずつやるよりも、バレエ1つを週3回やる」

というように1つのことを深堀りする方が、練習量が4倍な分、人より習得も早いはずです。

「どのスキルても、1万時間練習すれば達人になれる」

という説もあるそうですし。

そもそも、習い事で得られることって?

いろいろあるとは思いますが、やはり、習い事に没頭する中で、

  • 努力の仕方
  • 習得のコツ

を学んでいると思います。そして、たとえ、集中してやった習い事が、

  • いちばん好きな活動にはならなかった
  • 思ったとおりの結果を残せなかった 

としても、

 そして「これだ」と思ったものが見つかったとき、前の習い事で習得したスキルで、前よりラクにこなせるのではないかと思うのです。

まずは好きなことを見つけるために色々やってみる【拡散】、そのあと1つか2つに絞る【収束】

いきなり好きなことは見つからないので、次の2段階で探すのはどうでしょうか。

ある期間に習い事をばーーっといろいろやってみて、彼らが何が好きか、何が楽しそうに集中してやれてるかを探す。「拡散」のフェーズです。

そのあとに、選択と集中です。一番、好きで熱心にやってるもの、一つか二つにしぼる。「収束」のフェーズ。  

まとめ 

1つに選択するのは大変です。始めるほうがよっぽどラクです。 

でも、習い事の目的をもう一度考えてみてください。習い事で得たいことはなんだったか?

選択と集中をして決めた習い事で、没頭してそのことに励んだ結果で得るものが、子どもの生きていく力に役立つはず。

今いろいろやらせているわが子の習い事をしぼる時期だなあと、自戒をこめて書いてみました^^;

「自分の価値を決めるのは自分」をやってみた

あーそーゆーこと、とぱっかん腹に落ちたことがあったので、残しておきます。

 

■自分の価値を決めるのは自分|心屋仁之助オフィシャルブログ「心が風に、なる」Powered by Ameba

今まで、自分の価値を決めるのは
他人だと思っていた。

だから、凹な自分を隠して
頑張っていた。

そう、自分が一番自分を
評価していなかった。

だから、他人も
僕のことを評価してくれなかった。

僕が自分が持ってる自転車を
「ほんと、つまらん自転車でさ」と言うと

みんなも
「ほんと、つまらん自転車だね」と言う。

すると
「なんで認めてくれないんだろう」と悩む、
という図式でした。


今度は
「ほんと、素敵な自転車でさ」と言うと

「ほんと、いい自転車だね」と言われる。

 

でも、中には

「そーかなー、つまらん自転車だよ」

って言う人もいる。

 

言われると悲しい。

腹も立つ。

 

それでも、

自分はこの自転車を素晴らしいと思い、

大切にして、綺麗に磨いて

プロにも頼んで整備していこうと決めた。

 

どんどん、自転車に味が出てきた。

傷や凹みや不具合もあったけど、

 

「それがいいね」

「一緒に行こうよ」

 

って言ってくれる人たちが

たくさん現れた。

 

 

私には働いていないコンプレックスがありました。(いや、今もしょうじき少しはあります^^;)子どもを産む前は、がつがつ働いていて、午前様でタクシー帰りなんてこともたびたびありました。

 

が、子ども小学生になって、周りからも、夫からも、「働かないの?働いたら?」って言われることがときどきあります。

 

「子そだてでいろいろあるから、忙しくて働けないんだよね。(こんな自分よくないよね)」

 

「(そうだね、そんな自分よくないね)そうかな?頑張ればできるんじゃない?みんな働いてるし。」

 

なんで大変なのが、認めてもらえないんだろう、こんなに頑張ってるのに。さらに働けっていうの?!と悩む。

 

で、この記事を読んで、

そして、ある日、夫に、

 

「でも、主婦って楽しいんだよね。」

 

って言ったら、

 

「あ、それはいいことやね」

 

って言われた。

 

自分の価値を決めるのは他人だと思っていた。

自分の価値を決めるのは自分。

自分の価値は自分で決めていいんだ。

 

自分が自分を一番評価しようと思う。

そーゆーことなんだと思います。

「ミヨシ 暮らしの重曹せっけん」は洗面台も顔すりすりできる

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今まで、洗面台のそうじをするのは、 

 

重曹

 

と決めていました。たまに、蛇口の水アカをお酢スプレーでしゅっしゅするくらい。お酢スプレーすると、ほんとぴっかぴかになるんですよねーー。

 

それが、試しに、台所でもお風呂でもお気に入りのシリーズ、

「ミヨシ 暮らしの重曹せっけん」

 

暮らしの重曹せっけん ボトル 170G

暮らしの重曹せっけん ボトル 170G

 

 

の粉タイプを試してみたところ、よく落ちる、めっちゃ落ちる!


重曹も、洗面台の、細かい固くなった汚れを、スクラブのように研磨してくれるのですが、「暮らしの重曹せっけん」は石けんの効果か、洗いあがりがつっるつる!

 

以前、「おそうじペコ」さんというサイトを運営されてる方が、

 

「昔、換気扇を重曹でこすったり、セスキにつけたけど、結局、石けんがサイコーだった」

 

みたいなことをかかれていて、やっぱり石けん、しかも重曹入りが最強なんだなーーー、と実感しました!

 

重曹よりは、多少値がはるけども、この気持ちよさ、顔でもすりすりしたくなるような洗いあがりがは、もう離れられない気持ちでいっぱいです!

 

ブログに書くことが浮かばない時に唱えると、必ず何か書ける言葉とは?

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「ブログに書くことが浮かばないーー」 

 

と思ったときに、唱えることばがあります。これを唱えると、だいたいなにかしらブログが書けるようになりました。それは、

 

「見たことを書く」だけでいい日記

 

というものです。出元はこの本です。

 

 

 子供の作文&日記指導の本なのですが、何がヒントになったかというと、

 

作文が書けない、苦手という子の共通点は、

 

「書くことがない。見つからない」
「どう書いていいか、わからない」
「うまく書く自信がない」

 

 まーさーにー、わたしがブログを書けない気分といっしょ!

 

この問題を解決するのが「見たことを書く」という手法

 

とあります。本ではさらに、

正確には「書くことがない」ではなく「書くことをしぼれない」だと思います。子どもたちは学校や家庭で、あるいは家族と出かけた先で、いつもなにか見ています。見方も上から見る、横から、子どもの頭のなかのスクリーンには、絶えずいろんなものが映し出されています。


大人なら、見たもののを知識と照らし合わせて整理できますが、子どもはそうはいきません。生まれて初めてみるものも多く、いろんな情報がごちゃ混ぜになっています。

 

日記を書こうとしたとき、ごちゃ混ぜの情報からひとつ取り出すのはむずかしいため、結果的に「書くことがない」となるのです。

 

100字日記では、学校で習う作文の作法は忘れ、「まず見たことを書く」ということを意識します。うまく文章をまとめようとしないこと。書く順番や構成は気にしなくていいので、まずは、見たことをそのまま書き、言葉に置き換えることが大切です。

 

100字日記の目的は、「正しい文章を書くこと」ではありません。何かを見たとき、見たものをその子の言葉で素直に表現するためのトレーニングです。同じものを見ても、感じ方は人それぞれ。人と違っていても、恥ずかしがる必要はまったくないのです。

 

見たことを言葉にするだけで考える力が伸びる。

それは、見たことを言葉にする過程で、「どう表現したらもっとも効果的か」を、無意識のうちに考えるからです。ふだんは気にとめていなかったものでも、文章にしようとすると、必ず発見があります。こんな形だったのか。こんな色だったのか。発見は次の発見を導き、どんどん頭を使うようになります。そして楽しくなるのです。


この本は子どもの作文の話していますが、これを「ブログを書く」ということに置き換えると、わたしがブログを書けないというのは、


「書くことをしぼれない」だけだということ! 

 

書くネタがきれるなんてことは原則なくて、きょう買った砥石の事とか、着ている服の事とか、書こうと思えばなんでもネタになるはず。

 

「読んでもらえるような、おもしろい、目あたらしいことなんかあったかな?」と考えると、とたんに何も筆がすすまなくなる。なので、最初にあげた


「見たことを書くだけでいい」


と唱えると、今日あったできことが、つぎつぎと目に浮かび、その中でこのネタだったら何か書けるかも、というネタを何かしら一つは浮かんできます。

 

そして、その次に、近所のママ仲間で話すときの口調を思い浮かべて、それと同じ口調で書く。


「ねえ、聞いてー!この前、初めて砥石を買ってみたんだけどね、あれすごいね。〇〇〇〇で。もっと早く買えばよかったよーー。」

 

そうすれば、もう、なにかしらブログになります。

 

そんなふうに、見たことをすこしずつ書いていると、主婦の毎日の中で、こっちの洗剤使ってみたらいつもより早く汚れが気持ちいいぐらい落ちちゃった、とか、そーいうことが小さい比較も、りっぱな実験になり、そのネタがブログという名の豆・研究レポートになっていく。

 

そうすると、「毎日同じことばかりの家事」もまんざらつまらないことじゃないなとも思えたり。ただ単純に、考えをまとめて書く。ひとかたまりの作文になったときに、なんともいえないスッキリ感と、達成感があります。

 

「見たことを書く」と唱えて書くの、オススメですーーー。

 

たとえ誰にも読まれなくとも、自分のために♪ 

もっとはやく砥石にすればよかった

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今まで、包丁を研ぐのに「京セラ セラミックシャープナー」という簡易シャープナーを使っていました。

が、この前実家に帰ったとき、キュウリを切ると、なんなんだこのちがい!腕がよくなったのかな?と勘違いするくらい、すぱすぱキュウリが切れます。

で、母に聞くと

「あー、来る前に砥石でといだよ。」

とのこと。あまりの切れ味の違いに今までなんとなく「面倒くさそう」と倦厭していた砥石をとうとう買ってみました。

 

とにかく砥石を買ってみる

どれにするか悩みましたが、Amazonのレビューを読んで台所用品では使い勝手でお気に入りの貝印さんの

 

 というのを買ってみることに。水を必要に応じて足せる受け皿があるのがいいと思いました。また、レビューを見ていると、荒砥ぎの方は特別刃こぼれした時でよさそうで、細かい研ぎの方で十分だそう。

 

朝食前に研げる、その時間わずか10分!

さっそく使用方法を読み、前の晩から砥石を水につけておき、翌朝、朝ごはんの支度前に実行。

 

片側を3ブロックに分け、50回ずつ、両側。

そのじかん13分。

 

そして、朝食のトマトを切るとあのすぱすぱ!!もううれしくなる切れ味でした。

 

なーーーんだ、こんなに気持ちいいならもっと早くから砥石にしておけばよかった!かかる時間も10数分だし。砥石ばんざいです。