「ブログに書くことが浮かばないーー」
と思ったときに、唱えることばがあります。これを唱えると、だいたいなにかしらブログが書けるようになりました。それは、
・「見たことを書く」だけでいい日記
というものです。出元はこの本です。
子供の作文&日記指導の本なのですが、何がヒントになったかというと、
作文が書けない、苦手という子の共通点は、
「書くことがない。見つからない」
「どう書いていいか、わからない」
「うまく書く自信がない」
まーさーにー、わたしがブログを書けない気分といっしょ!
この問題を解決するのが「見たことを書く」という手法
とあります。本ではさらに、
正確には「書くことがない」ではなく「書くことをしぼれない」だと思います。子どもたちは学校や家庭で、あるいは家族と出かけた先で、いつもなにか見ています。見方も上から見る、横から、子どもの頭のなかのスクリーンには、絶えずいろんなものが映し出されています。
大人なら、見たもののを知識と照らし合わせて整理できますが、子どもはそうはいきません。生まれて初めてみるものも多く、いろんな情報がごちゃ混ぜになっています。
日記を書こうとしたとき、ごちゃ混ぜの情報からひとつ取り出すのはむずかしいため、結果的に「書くことがない」となるのです。
100字日記では、学校で習う作文の作法は忘れ、「まず見たことを書く」ということを意識します。うまく文章をまとめようとしないこと。書く順番や構成は気にしなくていいので、まずは、見たことをそのまま書き、言葉に置き換えることが大切です。
100字日記の目的は、「正しい文章を書くこと」ではありません。何かを見たとき、見たものをその子の言葉で素直に表現するためのトレーニングです。同じものを見ても、感じ方は人それぞれ。人と違っていても、恥ずかしがる必要はまったくないのです。
見たことを言葉にするだけで考える力が伸びる。
それは、見たことを言葉にする過程で、「どう表現したらもっとも効果的か」を、無意識のうちに考えるからです。ふだんは気にとめていなかったものでも、文章にしようとすると、必ず発見があります。こんな形だったのか。こんな色だったのか。発見は次の発見を導き、どんどん頭を使うようになります。そして楽しくなるのです。
この本は子どもの作文の話していますが、これを「ブログを書く」ということに置き換えると、わたしがブログを書けないというのは、
「書くことをしぼれない」だけだということ!
書くネタがきれるなんてことは原則なくて、きょう買った砥石の事とか、着ている服の事とか、書こうと思えばなんでもネタになるはず。
「読んでもらえるような、おもしろい、目あたらしいことなんかあったかな?」と考えると、とたんに何も筆がすすまなくなる。なので、最初にあげた
「見たことを書くだけでいい」
と唱えると、今日あったできことが、つぎつぎと目に浮かび、その中でこのネタだったら何か書けるかも、というネタを何かしら一つは浮かんできます。
そして、その次に、近所のママ仲間で話すときの口調を思い浮かべて、それと同じ口調で書く。
「ねえ、聞いてー!この前、初めて砥石を買ってみたんだけどね、あれすごいね。〇〇〇〇で。もっと早く買えばよかったよーー。」
そうすれば、もう、なにかしらブログになります。
そんなふうに、見たことをすこしずつ書いていると、主婦の毎日の中で、こっちの洗剤使ってみたらいつもより早く汚れが気持ちいいぐらい落ちちゃった、とか、そーいうことが小さい比較も、りっぱな実験になり、そのネタがブログという名の豆・研究レポートになっていく。
そうすると、「毎日同じことばかりの家事」もまんざらつまらないことじゃないなとも思えたり。ただ単純に、考えをまとめて書く。ひとかたまりの作文になったときに、なんともいえないスッキリ感と、達成感があります。
「見たことを書く」と唱えて書くの、オススメですーーー。
たとえ誰にも読まれなくとも、自分のために♪