東京に出てきて10数年たちました。
ずっと標準語でしゃべってきました。
なぜなら、職場で初めて、敬語やていねいな言葉を使うようになったので、それはすべて標準語でした。
故郷のことばで敬語をどう使うのか知りませんでした。
そして、仕事の忙しさとともに心の器もいっぱいになってしまい、これはいかんと仕事をやめました。
子どもが生まれて、論理がまったくきかないワカランチンと、人間対人間のむきだしの生活をしていたある日、
「故郷のことばって、気持ちをのせやすい」
ということに気づきました。
「感情を言葉にのせる」
ことができるのです。
それは、標準語を話していたときは、できなかった感触でした。
標準語で育った人は、きっと難なくできるのでしょう。
そして、また故郷のことばをあえて使うようにしました。
そしたら、思っていることがぼんぼん言えて、
お腹にワインのオリみたいなものが、たまらなくなりました。
子どもが学校にあがって、初めましてな人と話す機会が増えました。
一瞬、
「またていねいな言葉がいる!」
と思いましたが、 あせらないあせらない。
「わたしはわたしの育ったことばが、いちばんいいコミュニケーションがとれる」
と唱えています。
そんなことを考えている夏休みです。